お説教2題
歴史街道推進協議会からの引退まであと半年となった。
先日その全体会議があり、同協議会の活動と当方が以降本格的に関わる「世界遺産連携」の関係性について、プチ講演させていただいた。
その際強調したことの1つは(一社)世界文化遺産地域連携会議の運営方針が「地域・官民連携組織でなければできない事業以外には”絶対に”手を出さない」こと、だという点である。
歴史街道推進協議会では昨今、大多数の職員が小規模ツアーや企業研修といったいわば枝葉末節な事業に係っている。
そうしたことは世界遺産連携でも簡単にやれる。
が、「絶対に」やらない。
そういうことに一生懸命になり「それでいい」「ここはそういうことをする組織だ」と思ってしまう関係者(特に外部からの出向者)が増えれば、肝心な活動への取り組みがどんどんいい加減なものになってしまうからである。
因みに「地域・官民連携組織でなければできない事業」とは
1 ノウハウ交流(失敗事例を含む)
2 スケールメリットがでる事業
①全体(情報発信・要望活動など)
②部分(やりたい者だけでやる事業・近接遺産連携など)
③個別事例でのノウハウ開発→全体での再活用
3 役割分担型の事業(例:連続イベント・スタンプラリー)
の、基本3種類しかないと私は思っている。
数日後の今日。
久しぶりに歴史街道事務局の局内会議に参加した。
延々と数十名規模のイベント報告が続く姿に・・・正直呆れた。
確かに、年間100本近くそうした事業を実施できるパワーはそれなりのものであり、少なくとも「仕事をしていないことにはならない」。
が。
問題はそうした活動に明確な目論見や中期展望のイメージがほとんどないことである。「展望がない活動を”ただ頑張ってます”というだけの組織なぞ必ず不要になる」と十分わかっているはずのプロパースタッフまでがそうした事業の中心にいる姿に・・・久々ブチ切れた。
分かりやすい例をあげよう。「手間対効果」の問題である。以前なら、例えばテレビ番組が放送されており、毎日200万人くらいの視聴者がいた。また例えば、海外広報担当者の年間ノルマはフイルムコミッション的な事業含め「世界の最低3億人に情報を届けること」だったりもした。
対して・・・30人のイベントを年間100回やった所で、実際には1年かけて3000人を相手にしたことにしかならないのである。
ここでまず知って欲しいのは、同じようなことをやっているように見え、実際には工夫ひとつでそれなりの「展開イメージ」が見えてくるものがある点だ。
例えば「関西を南北3つに分けた広域振興」の中で、私は近畿北部の「環状高速道路」各地に1000枚のQRコードMAPの貼付依頼をした。
20枚ずつくらいを手に抱え、各地とのコミュニケーションも兼ねて何度も現地入りする、一見「超地道」な作業だったが・・・仮にそのうち3割のMAPが毎日新しい10人に見られる場所に掲出されれば、
対象は 300枚×10名×365日で、相手は年間約100万人 となる。
また、旅館・道の駅・観光施設等々に貼られたMAPのQRコードからは10言語の各地案内ができるようになっている。
個別地域ではそこまでのインバウンド対応は全く困難。だからこそ我々のような連携組織の出番、である。
今の歴史街道事務局を見ていると、多くの人がイベント継続に忙殺され「忙しい忙しい」と言っている。
しかし、毎年結局同じような所を懸命にぐるぐる回っているだけで、計画の完成に向け着実に進んでいる姿が全く見えない。
外部からの支持を拡大したければ、半歩ずつでも年々前進している姿を関係者に示せなければいけないのは当然で・・・申し訳ないがこうした姿は大変愚かだと思う。
対して、例えば北近畿の場合は今期、MAPに続いて「環状高速」を映像化した。
下半期には中部圏の中高年・歴史・ドライブ・グルメ好きの方々をターゲットに、インターネット広告を計画中だ。
例えばYahooの場合、露出単価は1件だいたい0・1円程度らしく、50万円だせばそうしたのべ500万人・・・までは眉唾としても、その何割かの特定ターゲットに一応の情報を届けることができる。
https://www.youtube.com/watch?v=TW2ChCATK_k
なかなか共同歩調が取れない近江・若狭・丹後・但馬・丹波の面々には「中居君は中居君、木村君は木村君で頑張るのはいいけど、”SMAP”として一緒にやる方がいい時にはそうしんとあかんで。バラバラではインバウンドはもちろん、首都圏や中京圏対策もでけへんで」と言っている。
他方、中央部でも東京での法隆寺管長講演、南部関係でも吉野・熊野・高野のTOPによるシンポジウムなど、一見すれば歴史街道スタッフがやっているのとよく似た感じの事業をやっている。
が、これらの主目的はいずれもシンポ自体ではなく、その内容を東京五輪までに10言語のHPにすることである。
法隆寺はわが国第一号の世界遺産だが、多くの人には「京都の奥に奈良があり、そのまた先のちょっと遠い寺」くらいにしか思われていない。どこに京都の寺と違った価値があるのかも一般にはロクに意識されていなければ、大阪(天王寺)からJRに20分乗れば法隆寺駅に着くこともあまり知られていない。
紀伊山地の霊場と参詣道については以前にも書いたが「仏教・神道・修験道の聖地が共存し、古道で結ばれ今も活動している」ことがこの遺産の肝である。しかし3県20数市町村、4鉄道(JR東海・西、南海、近鉄)がバラバラに情報発信しているため、いつまでたっても(高野山や吉野の情報自体は届いたとしても)「なぜここが世界遺産なのか」が外国人は勿論、一般の日本人にも伝わらない。
だからこそそこに切り込む。
地元だけでは解決が難しい問題に気づき、何かできることはないかと思うこと。可能なら「自分たちにしかできない」具体的な手を打つことが大事で、そのためにはまず「プロとして」もう少しそれぞれの足と耳と頭を使わなければいけないと思う。
同協議会ではプロパーが次々に60歳定年を迎えており、2年後には創業メンバーが(就業延長希望者のぞき)ゼロになる。
もちろん自分自身も例外ではない。
これ自体は望む所(笑)。
老兵は基本去るべきだし、自己満足かも知れないが、冒頭MAPにあるような形で32年前に心の中にあった設計図はある程度実現できた。
とは言うものの。
このままでは・・・というか、組織文化をきちんとしたものに戻しそれを伝承しておかなければ、(出向してきた人らが)一生懸命漕げば漕ぐほど、舟は全く違う所に行ってしまうだろう。
技術的には現状の「イベント屋さん文化」を元に戻さなければ周囲からの支持は1000%得られないものになるし、精神的には大多数派を占める出向者らが「自分の出向期間さえ組織継続できればいい」なぞと考えようものなら、組織は泥舟化する。
そう断言できるのは 計画の背後に「空白の11年」以降の、負のスパイラル(信用低下→資金減少→活動縮小→さらなる信用低下→・・・)が存在しているからである。 http://idoido.cocolog-nifty.com/blog/2017/09/post-817a.html てな訳で、あと半年。
簡単で前向きな言葉に言い換えれば、(エネルギーがない訳ではないのだから)各自のベクトルをきちんとまっとうな方向に向けることが必要だ。 ・・・どんなに嫌がられようとも、これからも必要に応じ切れること辞さず!
と思っている昨今である。
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