« 継体天皇考(その1) | トップページ | 天才発見! »

2017年3月31日 (金)

継体天皇考(その2)

 継体・欽明期での政変、あるいは新王朝説といったお話が盛んになってきたのは、終戦後です。
 
 「記紀」によれば、武烈天皇に跡取りがなく、継体天皇が「応神天皇の5世の孫」として迎えられ、群臣の要請により即位したことになっています。
 
 が・・・以下のような理由から、様々な議論や推理が生じてきた訳です。
 
 
 詳しい方には釈迦に説法でしょうが。
 
 ・そもそも「日本書紀」の系図一巻が失われており、正確な系譜が分からない
 ・即位から大和に入るまでに何と20年を要している
 ・没年齢の違い(日本書紀82歳、古事記43歳)
 ・和歌山県橋本市の隅田(すだ)八幡神社人物画像鏡(国宝・東京国立博物館蔵←「平成館」にて現物見れます!)に「百済・武寧王(523年没)が”男弟王”の長寿を願いこれを贈る」との記述がある
 ・「百済本記」(消失)に、530年頃「日本の天皇と皇太子が(クーデターで?)皆死んだ」と記されていた(旨の記録が日本書紀にある)  などなど。

 

 で、そうしたことに関連し、様々な興味深い説があります。

 例えば以下は今年1月に亡くなった在野の古代史家・石渡信一郎さんの「伝・仁徳陵の被葬者は継体天皇」説。

 ①稲荷山古墳(行田市)の鉄剣に「辛亥年 ワカタケル大王」の記述がある。「辛亥年」の現在の多数説は471年説だが、異体文字・土器・副葬品の組み合わせから531年がむしろ妥当である。

 ②「辛亥年」を531年とすると、須恵器の型式より大山古墳(伝・仁徳陵)の造営は510年台、誉田山古墳(伝・応神陵)は500年前後となり、仁徳は399年に死去しているので時代があわない。また「ワカタケル」は479年没とされている雄略ではなく欽明となり、その前、すなわち継体こそが大山古墳(伝・仁徳陵)の被葬者と推定できる。

 ③誉田山古墳(伝・応神陵)の被葬者は5世紀後半から6世紀初め、「宋書」にある倭の五王の「武」であり、彼と(後に名付けられた天皇名)「応神」が同一人物。誉田山古墳の次に造られた巨大古墳(大山古墳)の被葬者が「継体」なら、「応神」に次いで即位したのは「継体」で、両者の間の、仁徳・履中・反正・允恭・安康・雄略・清寧・顕宗・仁賢・武烈の10代は架空の天皇ということになる。

 ④歴代の倭王の墓は造営年代に鑑み、「崇神」(箸墓=奈良県桜井市:276m)ー「垂仁」(行燈山古墳・天理市=伝・崇神陵:240m)ー讃(渋谷向山古墳・天理市=伝・景行陵:302m)ー珍(五社神古墳:奈良市=伝・神功陵:276m)ー済(仲ツ山古墳・藤井寺市:伝・応神の妃ナカツヒメの墓=286m)ー興(石津丘古墳・堺市=伝・履中陵:365m)ー武(「応神」=誉田山古墳・伝応神陵=425m)-「継体」(大山古墳・伝仁徳陵486m)ー「欽明」(見瀬丸山古墳318m)と推定できる。

 

 荒唐無稽に思われる方が少なくないかもですが・・・少なくとも古代史の専門家ではない我々にとって、「色んなことがかなりスッキリする」考察であることは確かでしょう。

 ただ。それだけではなく。

 実はこの説には、それを裏付ける可能性を持つ事実が存在します。

 「ボストン美術館」に「大山古墳(仁徳陵)出土」とされる環頭太刀の柄頭や銅製の獣帯鏡が所蔵されており、しかもそれらが6世紀初頭の武寧王に瓜二つ、だということです。

 とすれば、これが出てきた恐らくは大山古墳の築造は、武寧王領のそれ(525年)とほぼ同じと考えなければならなくなります。

 定説(5世紀前半)から約1世紀のずれが生じ・・・俄然大きくなるのが、530年頃没の継体天皇と大山古墳(仁徳陵)造営期が同時期、という可能性なのです。

 

 ちなみに、ボストン美術館がそれを所蔵しているのは「明治25年、農民がそれを堺のある有名な神社に持ち込み換金」「神官は3年後、京都の博物館へ出店しようとしたがかなわず、京都の有名な古物商に手放した」「明治41年ボストン美術館がそれを入手」という経緯。

 「大山古墳」出土との説明にそれなりの重みを加えるのは、ときのボストン美術館初代中国・日本美術部長がそんじょそこらの外国人凡夫ではなく、晩年の「岡倉天心」だったという事実です。

 もちろん「本当に大山古墳から盗んだかどうか」は盗掘者本人しか知り得ないことであり、精度100%とは断言できない訳ですが・・・上記の「可能性」自体は絶対に無視していいような小ささではない。

 どうにもそんな気がします。

 

 (主な参考資料)

 「太田茶臼山古墳の時代」(今城塚古代歴史館)

 「継体天皇 日本古代史の謎に挑む」森浩一・門脇偵二(大巧社)

 「聖徳太子はいなかった」石渡信一郎(河出文庫)

 「仁徳陵 この巨大な謎」中井正広(創元社)

|

« 継体天皇考(その1) | トップページ | 天才発見! »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/79824/70107881

この記事へのトラックバック一覧です: 継体天皇考(その2):

« 継体天皇考(その1) | トップページ | 天才発見! »