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2009年6月29日 (月)

そのまんま東国原劇場?

 自民党選対委員長?の古賀氏と東国原宮崎県知事(以下、東氏)の面会が話題になった。

 まずどちらの側がこの件の「仕掛け人」かは、この種の密談にわざわざメディアを呼び押せたのがどちら陣営だったか、を探れば容易に分かることである(ただの突発的な訪問だったなら、TVカメラがあんなに集まる訳がない)。

 仮にそれが古賀氏の側だったとすれば、断られる可能性があればメディア(=国民)の前で大恥をかき、選挙の行方や自らの政治生命にすら関わることになる。

 もしくは、打診快諾によって自民党に勢いをつけようとしていたのなら、確約に近いものがあったにも関わらず「梯子を外された」か「高く売られた」ということにしかならない。

 なのでまず、そんなことは考え辛い。

 東氏にすれば、やんわりお断りするだけなら、自分が恋焦がれる相手への失礼を考えれば、古賀さんと会うのに、わざわざメディアを呼ぶ必要はない。

 従って、一連の行動は絶対に確信犯である。

 さて、ちなみに東氏は僕の出身のW大競走部とも決して遠くない人物である。また、同世代的にもそういった闘いを応援したい心情もある。

 一方で、私の妻は民主党。

 なので一方的にいい悪いを論じるつもりはないのだが。

 東氏の心中を「そのまんま」に察すれば・・・単純にもう「宮崎ではやれない(あるいは宮崎は嫌い)」、「東京に出たい」もしくは「もっと偉くなりたい」と思っているんだろうな。

 だから、民主党・鳩山代表の「任務放棄は県民への裏切り」というコメントは的確だった。

 恐らくその前には「無所属で当選しておきながら、自民党に売り込むなんて」「地方主権を唄いながら、その大きな権限&注目知事としてのポジションを自民党ポストと引き換えにしようとするなんて」といった言葉が省略されているのだろう。

 もちろん、東氏や橋下氏らの行動は単なる私益からのものだけではない、と僕も思う。

 そういった行動を起こし、すでに「地方主権」をマニフェストの柱の1つにする民主党だけでなく、自民党をも揺さぶれば、その実現はより近いものになる。

 ただ、「知事会でどちらの政党を応援するかをはっきりさせるべき」というのは多分、全くできない相談だ。

 知事には基本的に自民党から出馬している人の方が多い。なので、まともに投票すれば全体で自民党が「知事会としての支持」ということになる可能性が低くない。

 しかし、同様に多いのは「国政と地方政治は別」と主張してきたいわゆる相乗り知事たちである。

  一方には当然、拮抗した第3勢力として、非自民から出ている人々がいる。また他方には、自民から出たにも関わらずこれを機に自民に見切りをつけて「勝ち馬(民主)に鞍替え」を狙っている人々がいたりする。

 ちなみに、橋下氏の政治的立場は恐らく最後のパターン。逆に東氏はそのスキ間をぬい、「無所属から自民へ」の鞍替えを企てているということだろう。

 このあたりの違いは政策や政治的立場以上に、それぞれの地方事情(府県議や支援者たちとの関係)や「巨人と阪神どっちが好き?」といった、嗜好に関わるものに近いもののような気がする。

 ともあれ、一方的?に採決でもしようものなら知事会は大混乱になるし、会の存在意義すら失いかねない事態になる。

 だから、一本化なんて話はそもそもにおいて無理。

 東・橋下の両氏ともそんなことは先刻承知の上でよく言えば蛮勇、色眼鏡的には私益に走っている、と見ることができる。

 いずれにせよ。

 見逃すべきでないのは、東氏の「総理・総裁をやらせろ」という発言が、かなり熟慮を重ねた、一世一代のものだったという点だ。

 もし彼がメディアを呼び、かつこういった「捨ててはおけない」と思う発言をしなかったなら、絶対にここまでの大騒動にはなってないからである。

 この発言により東氏は、公的には自民党や地方主権への注目を引きつけた。

 また、私的には(知事会決議含めて)自民への風を吹かせようとしたことをお土産に自らを「高く売る」・・・もとい自らの「価値を高める」ことに成功した。

 しかも、最後の最後には「やんわりお断り」の冗談ですわと逃げられる、といった保険(笑)まできちんとかけてある。

 「お前もワルじゃのう」・・・と言う前に、その行動が「地方主権」の駒を一歩進めたことは確かであり、また東氏が決して「ただの元・コメディアン」ではないことも垣間見えた。

 今回の東劇場の真相を「そのまんま」に見れば、まあ大体そんな感じだが。

 彼がサミットに並ぶ将来像を本当に見たいかどうかは、最終的には国民が決めればいい、というだけのことであったりもするのである。

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2009年6月24日 (水)

長い長い言い訳(汗)

 この2週間ほどは割に忙しい日々だった。

 まず、先々週に歴史街道推進協議会の総会があった。

 自分が実務責任者だった時代と較べると、事業成果は1-2割、これからやろうとしている内容もお粗末。

 当時からの事業が次々と朽ち果てていく中、例えば前者では、昨年度に実施した目新しい事業は実質、「阪神間美術館ナビ」だけであった。

 (http://www.rekishikaido.gr.jp/ → 歴史街道の見所 → 阪神間美術館博物館ナビ)

 しかもこの事業も、僕が国の予算をとってきて、何とか実現したものであったりする。

 当日は09年から11年までの中期計画(第6期計画)も承認されたのだが、何回か前の日記に書いたような現状なので、この内容も実にお寒い限り。

 80年代後半からの「マスタープラン」「マスタースケジュール」「第1-5期計画」は全て僕が執筆し、また今回の数倍の労力と情熱をかけ丹念に各団体と調整してきたもので、当然もっと中味があった・・・というのが、自惚れであることをむしろ望みたいが、にしてもよくあんなチンケな中味にクレームがつかなかったものである。

 関係者全体の「温度」が下がってしまっているから、としか言いようがない(ちなみに今回の僕の執筆分は4分の1程度)。

 もう完全に、事業不振→信用低下→資金不足→さらなる事業不振→・・・ という悪循環に陥ってしまっている訳だが。

 こうなってしまった最大の原因であり、挽回していく上での問題は組織の上層に席を設けられた爺たちが、何もしなかったり、個人の趣味や出身社への利益誘導ふくめた見当違いの采配を振るうだけで財政貢献=ほぼ「ゼロ」、だという点である。

 自分が実務責任を担ってきた時代には年間最低でも2千万円くらいを自らの役職的ノルマに、ファンドレイジングをおこなってきたものだ。財政面でもそうした「血」の入れ替えを常にやってきたからこそ、不況時など含め、組織の命脈が曲りなりに20年以上も保たれてきたのである。

 それが「ゼロ」になってしまっているのだから、財政が傾いてくるのは当然。

 このままでは悪循環というか「負のスパイラル」が延々と繰り返されていく雲行きである。

 で、好き放題やっている現在の責任者(もうじき70歳)にそういった点を指摘したら、「大将は金集めなどしないもの」だってさ(嘲笑)。

 ここを好き放題の老後が送れ、収入が確保できる「天下り先」だと想っていたのに、財政難からそれがかなっていないことを、むしろ「どうしてくれる?」とでも言いたげで・・・問題外とはまさにこのこと、呆れてモノが言えない。

 はっきり言えば彼らの最大の誤算は、この計画をゼロから立ち上げてきた僕が20年を機に他の分野への転身を図ったり、癇癪を起こしてやめたりしなかったということだ。

 僕がそうしなかった理由は、第1に「植民地化政策」と闘わなければ、この少なくとも関西の宝といえるプロジェクトがとんでもないことになってしまうと考えたから。要するに「天下り」への反発や阻止は、完全に意図してやっていることである。

 第2には健康問題・・・その最大の敵は「ストレス」や「エキサイト」であったりする(笑)。

 もちろん、体のことがあり、僕は今、以前ほどの頑張りはできない。だから、こんな下らない「人事介入」を契機にここまで無茶苦茶なことになってしまった事業の推進責任を、再び背負いたいとはちっとも思っていない。はっきり言えば、今程度の忙しさで十分だ。

 また、20年を超えて、こういった仕事の最前線を1人の人間が務めるのがいいということも全く考えていない。だから、一歩下がって後進の育成をすることには全く異存はない。

 ・・・でも、なんぼ何でも、その「後進」が「天下り感覚の70歳」じゃね。

 だが。

 さはさりとて、報酬を受け取っている以上、自分の守備範囲については良心に従い、きちんとこなさなければいけない。

 ・・・と言うことで、総会終了後については企業まわりや(予算獲得に向けた)各種の申請モノに取り組んだ。

 地道な企業まわり(政治家で言う支援お願い)では、この間、自分が担当する10社ほど(関経連、大阪商工会議所、神戸商工会議所、大阪21世紀協会、関西電力、大阪ガス、電通、西日本高速、サントリー、アサヒビール・・・)を回った。

 また、国等の予算を取ってくるために検討中のものが今のところ、年間6分野。

 この間には、うち1本の申請書(まあ懸賞論文みたいなもの)を各方面との調整含めて提出した。

 一方では先月出していた「広域地方計画先導事業」の採択が先週に決定したので、国との調整、各方面への報告、初回会合の設定などをおこなった。

 その内容は、関西空港を起点に「百舌鳥古墳群(5C)-飛鳥(6-7C)-法隆寺(同)-奈良(8C)-京都・大津(8-16世紀)-大阪・神戸(宿泊拠点)-姫路城(16-19世紀)」という「オール世界文化遺産(暫定リスト段階のもの2地区含)を時系列に結んだ国際観光ルート」を作るというもの。

 これが日本国内で「国際観光ルート」を作るとした場合の、最高の素材の1つであることは間違いなく、今回の審査員はなかなか御目が高かった。

 (民主党政権が誕生した場合どうかだが:汗)3年間の予算継続があるということなので、2年目はこのルートでの事業充実を図りながら、関西のもう1つの世界文化遺産である紀伊半島の計画を作る(国内観光・熟練者=マニア向け)。3年目には同様に北近畿や琵琶湖など関西北東部の広域計画を、国内+関西圏内観光向けに作っていく。

 この3つのパズルを組み合わせることにより、関西の広域地方圏計画の観光・地域振興分野を「俯瞰しただけのお絵かき」から、血が通った「広域の実践プラン」に昇華していく。

 これまで23年間で何十もの分野の国の予算を獲得してきたが、もしかすると今回のが一番ワクワクする、嬉しい採択だったかも知れない。

 この件については別に、先述した内部的事情も関連している。

 「歴史街道」のメインルート(伊勢ー飛鳥ー奈良ー京都ー大阪ー神戸)を「フォーリーブス」とすれば、今回の提案は(似ているようで少し違う)「SMAP」。

 今は、フォーリーブスが踊れなくなって来ており、またマネージャーが無能であるため、再生される見込みはきわめて低い現状だ。

 (多くの主体に300億円?も出資させ、また個人としては20年もかけてやってきたものを、本当にヒドイ話である)

 「座して死を待つ」・・・そんな雰囲気の中での今回の採択は、とりあえず「フォーリーブスの足しになるような形で」SMAPを育成。取りあえずバックダンサーで踊らせてみる、といった話でもある。

 歌に専念したフォーリーブスが再生(延命?)すればそれはそれでよし。しかし、フォーリーブスがいよいよ声まで出なくなり、もしその時にSMAPに人気があるなら、主力商品が差し替えられるよう「セーフティ・ネット」を敷いて置く、といった意味合いである。

 フォーリーブス育成で培った技術・ノウハウはもちろん、全てSMAPに活かせる。逆に「あそこでもう少しこうしておれば」という部分についても、同種のミスを繰り返さないですむ。

 爺どもも、せめてファンドレイジングやこういった組織の存続・発展プランを示してから、今までやってきたことに口をはさむようにしてもらいたい。

 (でないと、まともなスタッフが着いて行く訳がない)

 老人にももちろん立派な人はいるが・・・普通、馬鹿老人や茶坊主爺がいつまでも幅を利かせ、好き勝手に一番えばっているような家や地域が明るいものだったり、活性化していくハズはない。

 はっきり言えば関西は、そのザイズをちょっと大きくしたような現状だ。

 誠にお粗末・・・と、あえて声を大にして言っておこう。

 話戻。

 しかしまあ、さはさりとて、こういった仕事面だけなら、忙しいのも知れている。

 世の中にはもっと忙しい人も一杯いるはずだ。

 ただ、自分の場合、実はこの間、急に仕事とは直接の関係がなく、原稿用紙100枚分くらいの論文?を執筆せざるをえなくなってしまった。

 (昨日完成)

 また、私生活では女房の政治活動関係がいよいよ風雲急を告げてきた。

 最終の制作物作成や、党との政策調整なぞをやらねばならない。

 一方で、5人の子どもの世話がある。

 この間には父母面談3人分(うち1人は遠方)、運動会が1回2人分、遠足2回2人分、選挙によって生じる「空白期間」に備えた散髪2名分、ついでに「ぎょう虫検査」が1件(笑)・・・などなどあった。

 習い事の送り迎えや、PTA系のつきあいもまだ続いている。

 (県知事選に伴う休戦のため、この間には女房に多少の余裕があったのが救いであった:汗)。

 他方では、医者通いが続いており、この間に3度。

 加えてこの間、かつて理事長をしていた芦屋のマンションに、何とか買い手がついた。

 契約、残品処分、お世話になった方々への挨拶、下2名との「最後のお泊り会」みたいなこともやった。

 ので・・・長い間、日記を更新するに至りませんでした。

 (長い長い言い訳)

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2009年6月11日 (木)

二歩王子

 ミゴト(6歳)は今、水泳・体操・空手・ラグビーと合わせ、藤内棋士(内藤國男さんの唯一の内弟子)から将棋を習っているのだが。

 教室を紹介してくれた、日経新聞O氏(パパレンジャー=小学校の父親の会仲間)よりメールがあった。

 ミゴトは教室で「二歩王子」という称号をつけてもらったらしい。

 自分より弱い相手を選んで勝負する眼力はすごいけれども、二歩を打って負けてしまうことからとか。

 言い得て妙、というかミゴトな称号・・・どうも有難うございます。

 幸せな坊主です。

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2009年6月 8日 (月)

本人は夢中だからいいけど・・・

 どこかの老齢の野球解説者が言っていた。

 「野球選手の家はね、本人も大変だけど奥さんがもっと大変。本人は自分のことで夢中だからいいけど・・・王さんとこも、長島さんとこも、それに星野のとこも、みんな奥さんの方が先に亡くなってるでしょ」。

 おおおっ・・・それは政治家の家にも言えるかもだぞ。

 家族が出しゃばるような選挙はロクなもんじゃない・・・というのをいいコトに、僕はそれほど女房の活動を手伝っている訳ではない。

 がしかし・・・今回も来た。

 右足の炎症。

 6年前の初めての選挙の時に、足の甲の小さな傷から雑菌が入り、以降も疲れがたまって来ると突然、歩くことはおろか、立つことすらできないような痛みがやって来るのだが。

 今回が2年ぶり3回目、甲子園なら立派な常連校である。

 前回は会社横の住友病院で皮膚科に回されたのだが、今回は何とか会社までたどり着いたものの、用事が片付かず、初診受付(午前中)に間に合わなかった。

 で、翌日また・・・ということだったのだが、今回に関しては「そろそろ」痛風が疑われたのと、松葉杖なしには数メートル歩くのも無理って状態だったので、以前からちょっと行って見たかった近所のK内科を訪ねてみることにした。

 「ちょっと行ってみたかった」というのは、実はK先生はスポーツ医学(特にマラソン・駅伝選手のケア)の第一人者でもあり、ついでの話として自分自身のマラソン後遺症の有無や、1年半前の大病(腹部大動脈瘤破裂)以降、どの程度の運動ならOKかについて聞いてみたかったのである。

 で、タクシーで2回通院。

 3日ほどで痛み自体はウソのようになくなった。

 のだが。

 問題は運動不足解消+マラソンの後遺症?の方の話で。

 まず血液検査の結果、懸念された痛風や糖尿はなく、肝臓や肺も悪くはなかった。

 で、軽くなら走ってもいいかどうかを見るために、念のため血圧を測ってみたところ・・・「188」(家に帰って測り直したら208なんてのもあった)。

 レントゲンを撮ったら、大動脈が普通の人より蛇行しているのが映っており、心電図もとってみたら・・・「狭心症の入口」?との診断であった。

 「入口って手前にいるんですかね。それとも中に入ってるんですかね?」と聞いたら、「中です」だって。

 で、走ることはおろか、何とニトログリセリンを常時持たされるハメになってしまった(汗)。

 まっ、一度大病をして三途の川を踏んでいるので、死ぬことのイメージは常に持っているし、別にもう全く怖くはない。

 選挙や子どもたちを育てることはそれなりの激務だが、社会的な闘いや家族のために命を削るならまだ本望だ。

 それと、陸上やったことにも別に後悔や恨みは全くない。

 だけど、くれぐれも仕事で財界爺やB級C級サラリーマン相手に、アホみたいなことで揉めたり「切れたり」することがないようにしなければいけない。

 命かけてまで相手しなきゃいけない輩たちではないからね。

 ってなことで・・・暫く日記を書かないうちに、僕は人知れず節制生活な日々を始めていたのであった。

 ちなみに、女房事務所では最も激務をこなしていた「S2等兵」が一昨日、39度の熱でダウン。

 本人は夢中だからいいけど・・・体力があるのか気力があるのか、「39度」と「血圧200」、2名の尊い殉死者の屍を乗り越え、ラストスパートへの準備は着々と整えられているようなのであった。

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