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2008年12月29日 (月)

さあ、箱根

 仕事おさめ(26日)、年賀状書き(27日)、大掃除(28日)と終わり、ようやくにして穏やかな年末がやってきた。

 女房&選挙事務所の方々は別じゃが・・・(笑)。

 いずれにしろこれからはこういう正月しかないのだろうから、慣れていく以外仕方あるまい。

 今日は森温泉→芦屋マンションの空気抜き(理事長時代以来3年ごしの大事業=全戸一時避難の全面大改修が11月に終了→使わないのももったいないので、年始早々に賃貸相談をするつもり)→知人宅のパーティ。

 明日はゴミ出し→花園の全国高校ラグビーWithラガーズ(=宗一郎、海如)→姫路実家(1日夕方まで?)。

 で、2日に家族の初詣。

 そして、もちろん・・・2-3日のメインは「箱根駅伝」である。

 今回の早稲田は優勝候補の1つと言われており、確かにその力はあると思うが、エースが3区のつなぎ区間に回らざるをえないこともあり、やはり駒沢の方が少し力は上か?

 よくも悪くも波に乗れるとグングン行くチームなので、ぶっちぎることもありうるし、誰かが下手すれば、その逆のケースも・・・。

 兵庫出身ではエース竹澤(姫路出身)ともう1人、西脇工からの1年生・八木(神戸出身)がエントリーされた。八木は走るなら7・8区あたりだろうが・・・何とか2人そろって区間賞を取って欲しい。

 もう1人の1年生・中山ジュニア(須磨学園)は残念ながら、メンバーには入れなかった。

 この中山(1万m28分48秒)を始め、今年の早大は5千m13分台とハーフマラソン63分台の4年生(いずれもインターハイ日本人1位)や1万m29分24秒の2年生(高校駅伝の1区10位くらい)が16名の登録メンバーからもれた。

 彼らが本調子であればもっと強かったはず・・・という一方で、それなりの実績をもつ選手でも、調子が万全でなければ弾き出されてしまうほどのチームができた、ということも言える。

 ちなみに、お時間ある人用に、箱根駅伝(早大関係)の予習本・復習本をご紹介しときます。

 「自ら育つ力 - 早稲田駅伝チーム復活への道」(渡辺康幸・早大駅伝監督:日本能率協会)・・・駅伝のみならず人づくり、組織づくりについて、若き監督が書いた好著。選手の特徴とかもよく分かります。

 「冬の喝采」(黒木亮:講談社)・・・著者は私の早大競走部の2年先輩。中村監督・瀬古利彦氏らの「伝説の時代」の内情?を知るならこちら。何をかくそう私も352P&597Pに実名で各4文字ずつ(笑)登場しております。

 では。09年が皆さんにとって、よい年でありますよう。

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2008年12月25日 (木)

09年、政党政治の幕が開く

 表題は、週刊朝日の「ニッポンの争点09」特集より。

 屋山太郎さんいわく。

 09年選挙では99%以上の確率で政権交代が起こる。これが実現すれば、憲政史上はじめての「官僚内閣制」から「政党政治」への大転換である。

 自民党大敗の理由は明らかで、自民党政治という名の官僚内閣制の賞味期限が切れているということ。この不況下にもかかわらず、麻生さんが平然と「行政改革なしの増税路線」を採るのは、その実態が官僚の言うことに従う「超然内閣」だという証明である。

 日本人は勤勉だし納税意識も高い。なのになぜ先進国最悪の財政赤字を抱えているのか、こんなにも社会保障が充実していないのか、政治が非正規雇用者を守らないのかなど、官僚主導の政治システムがおかしいと思う国民が確実に増えてきた。

 結果として、天下りを禁止し天下り法人を原則廃止するという大胆な官僚改革を主張する民主党に支持が集まるのは当然である。マニフェストの実行により、官僚内閣制は終焉を迎えることになり、真の意味での政党政治が09年から始まることになる。

 てなことで・・・当家では年始からもあわただしそうですが。

 皆さんよいお年を。

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08年下半期の映画 ベスト10

 ・・・って、時期が時期だけに、あまり観ていないのだが。

 1 宮廷画家ゴヤは観た

 http://www.goya-mita.com/

 2 シルク

 http://www.silk-movie.com/

 3 連理の枝

 http://www.h2.dion.ne.jp/~mine/movie-0870.htm

 4 ブタがいた教室

 http://www.butaita.jp/

 5 カンフーパンダ

 http://www.kungfupandainternational.com/intl/jp/

 6 バーバー

 http://barber.asmik-ace.co.jp/

 7 怪獣使いと少年

 http://next884mat.at.webry.info/200512/article_8.html

 8 寝ずの番

 http://www.kadokawa-pictures.co.jp/official/nezunoban/

 9 迷子の警察音楽隊

 http://www.maigo-band.jp/

10 大決戦!超ウルトラ8兄弟

 http://ultra2008.jp/index.htm

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2008年12月16日 (火)

「日本人最強」チーム

 21日の全国高校駅伝(男子)を予想してみる。

 ①佐久長聖(長野)、②西脇工(兵庫)、③仙台育英(宮城)、④埼玉栄(埼玉)、⑤世羅(広島)、⑥青森山田(青森)

 地元の西脇工とあわせ、今年ばかりは佐久長聖の初優勝を応援したい。

 佐久長聖はここ十年くらい毎年のように入賞し、昨年に至っては仙台育英と同タイムで準優勝。監督は東海大学からダイエーに進んだ両角速氏で、書き物を読む限り高校指導者としては出色で独創的なトレーニング理論の持ち主のようだ。

 それだけではなく。赴任当時に自ら校内の土手を切り開いてクロスカントリーコースを造ったり、ダイエーの廃部に伴い教職に転じた自らの夢を選手たちに託し、同校のユニフォームは「かつてのダイエーとうり2つ」・・・といったように、「理と情熱の人」としてのエピソードの持ち主らしい。

 その、佐久長聖のレギュラーの5000メートル平均は何と、14分03秒! である。

 対抗馬と目される仙台育英は14分23秒、西脇工は14分20秒であり、これらは「普通の」超・高校級チームだが、5キロにつき120mくらいずつ引き離されていく計算だ。

 そのすさまじさは、箱根駅伝出場チームでこれ以上の平均記録を持つのが、早大(13分56秒)、駒沢大(13分58秒)、日大(14分03秒)の何と3チームしかないことでも分かる。10人(箱根)と7人(高校駅伝)の差、あるいは力点を置く距離の違いはあるが・・・もし仮に一緒に都大路を駈ければ、かなりの大学が高校チームに負かされてしまうということになるのだ。

 しかも、驚くべきことに佐久では6番手までの選手が14分10秒を切っている。14分10秒て・・・分からんでしょうが、速いよ! 1000m3分(1500=4分30秒)ペースで5キロ走れれば高校生なら一流だけど、それが2分50秒(4分15秒)だからね。

 14分10秒以内の日本人高校生は今季全国で18名いるが、うち3分の1が佐久の選手。対抗馬と目される仙台育英からは(外国人留学生ふくみ)2名、西脇工からは1名がこのライン内に名をとどめるのみである。

 言い換えれば、佐久で3キロの最短区間を走るランナーが、仙台や西脇に行けば、2・3番目に長い8キロ区間を走る「準エース」ということになる。

 さて、10年以上前から、よくも悪くも高校駅伝には「留学生旋風」が吹き荒れてきた。

 仙台育英出身のワンジルが北京五輪で金メダルを取ったことでも分かるように、その多くが相当な好素材(ケニアのジュニア・チャンピオン・クラス)である。

 素質に加え、高地順化(=長く日本にいるとこれが薄れ「普通の選手」になる:笑)、年齢不詳(?)などの問題もあり、日本人高校生に太刀打ちできる訳がない。

 上記6チームの中では、仙台、世羅、青森山田の3チームに強力留学生がいる。

 「併せて」と言うか「そんな風潮に対抗して」というか。

 「陸上で身を立てたい」と願う中学生が国内留学するようなケース、あるいは国内のスカウト合戦も顕著になってきた。

 現3年生の入学時ではTOPの子が福岡から仙台育英に入った。仙台育英に至ってはチーム内に宮城の中学出身者が一人もいない年すらあったくらいである。

 そして、2番目が静岡から西脇工へ。西脇もいつしかそういった風潮に「参戦」したのだろう。そう遠くない京都の北部からも有力選手が兄弟で入学し、今回のレギュラーは兵庫4・京都2・静岡1となっている。

 佐久長聖もどうやら、その例外ではないようだ。

 事情通によれば、やはりレギュラーの半数が国内留学組とのことであった。

 ところで、当日のレース展開はというと。

 今回から留学生NGとなった「花の1区」では佐久のエース・村澤、有力2年生・田村のいる青森山田に西脇、世羅、小林などがくらいつく展開。

 2区で一旦佐久がトップ、西脇も上位に上がるも、留学生が登場する3区ではあっけなく「混成チーム」が逆転。

 折り返し順位は、仙台・世羅・青森・佐久・西脇の順で、ここから佐久の追撃が開始。

 4区終了時で世羅、青森をかわし、5区終盤か6区序盤で仙台を捉えて以後、独走・・・みたいな感じになるのだろう。

 「日本人チーム最高記録」の達成もまず確実である。

 もっとも、これからは最高記録も「留学生あり」(2時間1分台=仙台育英)、「国内留学生あり」(2時間2分台=佐久長聖)、「県内選手のみ」(2時間3分台=かつての西脇工)の3つくらいに分けなければいけなくなるのかも知れないけれど。

 西脇は6・7区で仙台に追いつけるかどうかに注目。

 現状3番手の女子・須磨学園(兵庫)がそれより上に行くには、故障者の復活が必要だろう。

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2008年12月 9日 (火)

あえて、地方整備局を擁護する

 地方分権改革推進委員会の第2次勧告が出た。

 麻生さんが「国交省地方整備局、農水省地方農政局の原則廃止」という方針を出し、次いでそれを撤回したりしたこともあり、結果的には「地方振興局」「地方工務局」という「スーパー出先機関」ができることになるだけじゃないの?  ・・・ といった辛口意見が出ているようだ。

 が、しかし。

 地方整備局は単純に解体するのは本当に惜しい組織であり、僕は勧告の方向は間違っていないと思う。

 もし「道州制」のような新しい「国のすがた」を目指すなら、実際には地方整備局をその核に据える以外に、これといった名案がないからである。

 曲がりなりに22年間も広域行政に携わってきている者としての実感を述べれば、組織としての地方整備局はきわめて優秀である。メディアは今回の勧告を、地方整備局がどうしようもない「ダメ組織」であるかのような前提で論評しているようだが、本当に(それ以上にとても情ない)地方の実情を知っているのかよ? と問うてみたい。

 これから先の存続価値について、地方整備局のそれと自治体やなんとか経済連合、他の国の出先機関などとを較べれば、明らかに前者の方が高いのである。

 第1に、都道府県との比較では、意外なことにより地域のことにコミットし、責任ある活動をしているのが、地方整備局のスタッフである場合が少なくない。

 例えば大洪水が起きた際に水門を開けるかどうか。最終決断をするのが知事だったとしても、多くの場合、その決断を促しているのは地方整備局の部長級である。

 都道府県スタッフは原則、縦割り組織間を横に異動しているだけなため、専門領域においては「プロ・アマ」に等しい差があるためである。

 だから、「道州組織」の整備部門では表向きはどうであれ、地方整備局に都道府県部局が吸収されるような形の「実態」が不可欠になる。

 文科系的分野でも、広域を担当する地方整備局の方が、都道府県のスタッフ以上に各地域を知り、地域に食い込んでいるケースが少なくない。

 彼らは本省ー地方整備局ー河川国道工事事務所というラインの中で各地・組織を2年ごとに転勤するから、ミクロ・マクロ両方の視点で地域を比較しながら眺めることができるのである。

 都道府県内においてすらそうなのだから、広域行政に関しての差はさらに歴然。都道府県のスタッフには「領地」以外の土地勘(=基礎情報)が全くないのだから、いきなり「広域」と言われても全く勝負にならない。

 2-3年間の出向・派遣期間内で何かをする場合はなおさらで、ようやく「領地」以外の部分が分かりかけたと思ったら、ほどなく店じまいの時期が来てしまう。いかにも無駄。というか、はっきり言えばそんなのでいっぱしの活躍をしろというのが無理なのである。

 第2に、経済界との比較では。

 民のノウハウが官のそれを上回る局面は少なくないものの、財界のリーダーというのは公的業務については実際、ピンキリである。

 サラリーマン人生の勝者といえども、実際には特定分野に関わる金儲け以外の実務経験はないし、勲章をもらうために役職を求めている、ちょっとどうなの? と思わざるを得ないような爺もいるからである。

 また 財界の実務を仕切る人々には、トップの顔色だけを眺めて出世したような「平目サラリーマン」や「宮廷政治家」が少なくない。さらに、スタッフには「試験のない公務員」のようなタイプが多く、優秀度や問題意識は都道府県スタッフにすらかなわない。

 従って、「地元の財界や自治体主導で道州制を」なんて話はなかなかうまく行かず。

 この上、地方整備局を解体なぞすれば、道のりはますます絶望的なものになるに違いない。

 第3に、国の出先機関同士で較べても、明らかに存在意義が疑われて然るべき組織は別に存在している。

 そういった組織の活動は、単なる霞ヶ関の出先機関に終始しており、むしろそちらの方こそが二重行政の最たるものではないか、という指摘を受けるべきである。

 そもそも、旧・建設官僚は各省庁間の比較でも、一定の知力や専門知識に加え、体育会的「馬力」が飛びぬけている。

 昨日、鴻池官房副長官が「文科省にはろくなやつがおらん」と言って問題になったが。そんなことは霞ヶ関のマイナー省庁を訪ね、スタッフの顔つきや仕事ぶりを一見すれば分かることだ。官僚の世界は「偏差値社会」であって、官僚が皆、優秀だなぞというのは大嘘である。

 実際には文科省よりも「偏差値」が低い省庁は全体の半分くらいあり。そういう所は憲政以来(笑)、優秀な奴が入らない→予算がとれない→その分野が発展しない→ますます優秀な奴が入らない・・・ という負のスパイラルの中にいる。

 では、いわゆる「偏差値」が高い省庁はどういう感じか?

 財務省には教育システムを含め「人間的にどうなの?」という輩が少なくなく、経済産業省にも精鋭がいるが、ここにはもはやこれといった仕事がない(笑)。総務省や旧・運輸省はもともとのお勉強はできたのだろうが、ルールをいじっているだけなので「感性が死んだ」人たちが多い。

 長い間、旧・建設省に大きな予算がつけられてきたのはなぜなのか?

 そういった各省庁の中で、ちょっとセンスは悪いが(笑)、理科系的素養含めスタッフの資質や組織そのものが、圧倒的にイイ線を行っていたからに他ならない。

 

 もちろん、だからと言って道路予算を増やせ、みたいな話をするつもりはない。

 地方整備局はその組織をうまく転換させ、他の人材をうまく活用して、道路に限らぬ地方行政の有力な担い手の1つに変身していくべきだ、と僕は思っている。

 20年前からの近畿整備局長とは全て面識があるので、そういった意見を直接言ったこともある。

 「日本列島改造」や「出稼ぎ農民を土木従業員に」といった時代や「古い自民党的体質」とはそろそろ一線を画し、半分のパワーで「新しい地方の担い手」に。4分の1で(旧・国土庁のような)総合的・ソフト的な地域づくりの仕事を。そして残る4分の1で必要な道路体系を仕上げたり、維持していくといったイメージを持てば、これからも当分はいい仕事ができる組織ではないか?

 少なくとも、僕はそう思っている。

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2008年12月 8日 (月)

自分が麻生さんなら

 麻生内閣の支持率がついに22%になってしまった。

 江戸幕府で言えば「大政奉還」寸前、ベルリンで言えば壁崩壊前夜の「天使の歌」状態であり・・・首相自身もまさに「死に体」「レームダック」「生き恥さらし」のような状態になってしまっている。

 ドラマチックな瞬間が多分近づいているのだろうが・・・人ごとながら、本当にそんなあっけないことでいいのだろうか?

 「経済の麻生」として、何か最後の最後の一発逆転はないのだろうか?

 みたいなことで、「自分がもし麻生さんならどうするか?」を考えてみた。

 自分が麻生さんなら第1に、前回指摘した「政策金利引き上げ」とかに本気で言及する。

 「世界に流出した金を日本に戻す」「利子が復活し景気を刺激する」というメッセージは、国民にとってもそれなり以上の現実感があると思うし、①まずは米ドル(1%)と同じに、②次に米ドルとユーロの中間値あたりに(1・75%)、③やがてはユーロ並に(2.5%) という具合に段階を踏んで行けば、マイナスや混乱を最小限に抑えれられると思う。

 専門家諸氏がどうお考えか聞きたいが、とにもかくにも行き当たりばったりで何もせず、民主党の政策を後追いしているかのような現状よりは、はるかにマシな方向ではなかろうか?

 定額給付金についてもこうなってしまっている以上、自分なら「地方分権の一環として市町村に2兆円を与え、各自に配ることも含め、景気回復や国民生活向上のために使い道を考えてもらう」と言う。

 多くのメディアは「各自にバラ撒くなら、もっといい使い途があるはず」「有識者に聞く。2兆円あればどう使う?」といった特集をしているが。

 このことから見ても、不評を買っているのは「国民に政策的効果の出ない小金をばら撒き」、しかも「複雑な配布作業を地方におしつける」「軽薄な人気取り施策」ぶりにあると言っていい。

 言い換えれば、①財政出動が必要、②地方に任せるという2点にはそう大きな拒否反応はないのである。

 各市町村に2兆円の使い道を任せれば、医療など各地域の緊急課題に取り組むことが可能になるし、公共事業をするとしても校庭の芝生化や校舎の耐震化など、環境・子育てといった今日的テーマへの活用が可能になるだろう。

 これを機会に、行政に代わるサービスの担い手としてNPOを育成するというのも有効な「生き金」の使い方である。例えば、どこかの地域で介護ボランティア貯金が本格化しそれが全国に広がれば、老後の不安は一気になくなる。

 (下世話な話では、観光施策とかとからめ広告が欲しいと願うメディアも、場合によっては味方につけることができるかも知れない)

 定額給付金が公明党からの提案であるとしても、こうなってしまっている以上、もう一度最後の勝負を賭け再調整されてはいかがか。

 ほんに余計なお世話だが、あまりなお気の毒ぶりに、ついぞそんなことまで考えてしまいたくなる(笑)年末である。 

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2008年12月 5日 (金)

金利引き上げは暴論?

 サブプライム問題が本格化する前には5%を超えていた米の政策金利は、今や1%である。

 昨日はEUの利下げが発表され、0・75%下げて2.5%となった。

 一時期の0・1%から0・5%に「上がった」日本のそれも、今は再び0・3%。

 円高が進んだため協調利下げに追い込まれた形である。

 だが、日銀内の内幕は、利下げ幅を0.2%にするか0・25%にするかで意見が分かれ、採決では同数。白川総裁が日銀法の規定に基づき、0.2%にとどめたらしい。

 それなりとはいえ英断・・・だったかも知れない。

 超低金利にはもうすっかり慣れてしまったけれど、世界経済の情勢が大きく変化してきているのだから、これからは「利上げ」指向を基調とした判断があっておかしくない。

 「金利を引き上げ」のメリットは4つある。

 第1に、金利を引き上げれば預貯金の利子が国民の手に戻される。ゼロ金利ゆえに国民が取りそこなった利子は10年間で154兆円と言われる。

 (=これにより消費不況がある程度緩和される)

 第2に、この間低金利を嫌って海外に流出していた大企業の利益や法人の個人金融資産(1450兆円!)が国内に還流し、これが景気を刺激する。

 (=カネが海外に流出するだけでは、日本の不況は当然!)

 第3に、ゼロ金利がもたらしてきた世界経済の混乱や年金の崩壊要因が収束に向かう。

 (=海外のファンドや機関投資家の円キャリー取引によるビジネスモデルが終焉し、年金基金その他も安全な預貯金に向けられる)

 第4に、金利を引き上げておけば、例えば行き過ぎた円高になった時、円安誘導が可能になる。

 (=そもそもゼロ金利では政策の余地がない)

 財政赤字解消がますます厳しくなる、中小企業などの金利負担が増えるといったデメリットももちろんある。

 実施の際には中小企業への優遇策との抱き合わせていく、といった多少のテクニック・・・というか、セーフティネットづくりは別途必要だろうが。

 輸入原材料価格を抑えることを含め、全体的に見て適度な円高(1ドル100円ほど?)は日本社会にとって悪くない。

 玄人筋からの異論もあるとは思うが、金利の引き上げは、無策よりはるかにマシな政策になりうるのではないか・・・まともに考えていけば、どうしてもそんな気になる。

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2008年12月 1日 (月)

地域を愛でる日々

 (その1)山のエキスパート

 女房の活動は一昨日に事務所開きが終わりそこそこ順調に推移しているが、仕事&子育ての合間を見ての僕の担当は「標高50m以上の地区」である。

 箱根駅伝には登り下りの「山のエキスパート」がいるけれど・・・神戸の山麓部&山岳部もさほど甘い場所ではない。

 滝もあれば、猪も出る。細い路地や上下をつなぐ階段が多く、車主体の活動は難しい。

 なので、約1万軒をバイク(チョイ乗り)と徒歩でてくてくとポスティングしつつ歩いている。

 一体どんな場所?・・・興味&機会ある方はJR神戸線の車窓からご覧いただきたい。

 大阪から神戸に向かうJRで芦屋を越え、まず甲南山手駅の向うに見える白い大きな建物が甲南女子大。その周辺が東灘区森北町5-7丁目である。PTA仲間のKシマさんらが住むエリアで、女子大のはるか上の最高居住地は多分、標高150mくらいある。

 西側に尾根を越え見えるもう1つの白い建物が神戸薬科大学。その下が自宅のある本山北町4丁目。で、そのずずずっと上に見えるのが甲南台である。保育所友人のM本さん邸があり、標高は森北7丁目ほどではないが、実は「兵庫1区の10大急坂」のうち2つがこのコース中にある。

 「10大急坂」については、まさかこれらの各地域ばかりをしょっちゅう訪れている人は少ないと思うので、「第一人者」として私が勝手に認定させていただいた(汗と笑い)。

 次に西へ尾根を越えると、本山北町5丁目。そして甲南大学の向うが梅林のある岡本6丁目、続いて別名「ヘルマン・ハイツ」の西岡本7丁目が見える。

 住吉川を隔て、次の尾根の下には白鶴美術館。その西隣には住吉山手5-6丁目に続く「10大急坂中NO1」坂(名前不明:笑)がある。丘を越えれば神戸大学付属住吉中学校周辺。そこから甲南病院周辺への特徴は道の片側に立ちはだかる、上高地かどこかに行く時のような「崖」である。

 甲南病院から御影を越えてしばらくすると灘区に。

 6つの頂上があるから「六甲山」と言うのだが、神戸大学や松蔭女子大学周辺のエリアが篠原北町と大土平町。そしてその北、地図で見ると六甲ケーブルの西側にあるのが篠原伯母野山町である。このページの読者の1人、T村さんの母校・六甲学院からさらに上のあたりだが、このあたりの風景もそこはかとなく信州あたりを彷彿させる。

 さらに西に進むと、要塞のような?神戸海星病院があり、その左・護国神社付近から谷を登った所が最後の難所・長峰台である。

 尾根を1つ越えると摩耶ケーブルがあり、もうしばらくで三ノ宮(中央区)。そして元町を過ぎ、兵庫県庁や神戸大附属病院あたりまでが兵庫1区ということになる。

 坂道や階段をてくてく歩くのは時に苦しく、比叡山の修行僧を想うこともある。数時間頑張って2-3百しか配れない地区もあり、正直な所、効率だけで見るとよくはない(11月はのべ14回出動で7500軒)。

 が、かなりの部分が自然の中ということもあり、ダイエット&気分転換には最適。細かな路地を覚えれば新しい発見があるし、地域を愛でる気分も高まっていく。

 解散が長引いたからこそこんなこともできる訳で・・・「みぞうゆう」な事態に感謝しつつ、1軒1軒に「真心」や「気」のようなものを込めて歩くようにしている。

 

 (その2)川掃除

 さて、実は僕は一昨日、女房の事務所開きには出なかった。

 「パパレンジャー」(小学校の父親の会)が主催する、天上川(岡本の中央を流れる小川)清掃の責任者だったからである。

 川掃除は2年連続3回目(って甲子園か?)で、30人くらいが参加してくださった。

 http://picasaweb.google.co.jp/kobenosakura/20081129(C=O城プロ)

 さほどひどくはないがホント、さまざまなものが捨てられている。

 過去には猪の死骸や自転車、テレビ・・・なんてこともあったが、今回、面白かったものベスト3は「車のカギ」「大量の馬券」「未使用コンドーム」。

 マナーの悪さを嘆きつつ、一体どうしてこんなものが川に投げ込まれたのか? を想像すると、それはそれなりに趣き深いものもある。

 ところで、掃除をしながらつくづく気づくのは、神戸という街に流れる川の特殊性である。

 思い出すのは昨年、灘区の都賀川で起きた事故だが。

 とにもかくにも神戸では、六甲山系という広大なエリアに降り注いだ雨が急坂を下り、何本かしかない長さ1キロ程度の川に一気に流れるようになっている。

 100万以上の人が住む都会で、似たような条件の地域はまずないだろう。

 施策体系(補助金行政)のバラバラさもある。

 親水性に凝るのなら、登り降りする場所が数十メートルに1箇所は必要だった訳だが、前者には金がつくものの、後者へのそれは希薄だったのだろう。

 不幸な事件を通し見えたのは結局の所、全国一律の河川行政の限界であり、国土交通官僚というか、霞ヶ関の机上で考えることの限界が露呈した形だ思う。

 (その3)本山歴史ウォーク

 昨日は昨日で、関係団体主催の「本山歴史ウォーク」に参加してきた。
 
 勝手に名づけて・・・本山・幻の大邸宅物語。

 阪急岡本駅ー住吉川の間で、参加者は昨年より5割増の60人であった。

 ①二楽荘跡

 甲南大学(岡本9丁目)北の山上、今は宗教施設内で倉庫みたいになっている場所にあった。1907年に着工され、1932年に消失した浄土真宗本願寺派宗主、大谷光瑞の別荘で、インド風の建築で下からはケーブルで移動していた。そこまでは商売柄?知っていたが、どこからそんな金を調達できたのかが分からなかった。謎の答は、もともと所有していた月見山の別荘?が、後の須磨離宮(今の須磨浦公園)として国(皇室)に買い上げられることになり、その分でこちらを建てた、ということらしい。
 http://www.hongwanji.or.jp/1999/99niraku/99nirakuso.htm 

 ②久原邸跡

 大谷光瑞失脚後、その二楽荘を引き取ったのが久原房之助。久原は日立の創業者にして甲南大学創設メンバーの1人。実業家として大成功した後、政界に身を投じ逓信大臣等勤めるも、政治に金を使いすぎて没落したらしい(おお恐い恐い)。
 豪邸があったのは今のオーキッドコート(西岡本2-3:前・川重社宅→現・イチローが居住した高級マンション)周辺で、JR北の住吉川には今も旧門前に「久原橋」がある。芦屋が高級住宅街として開発される前の話らしいが、邸宅内は遊園地のような電車で移動。また住吉川から直接水を引いて冷房がわりにするといった、考えられないスケールの家だったようだ。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E5%8E%9F%E6%88%BF%E4%B9%8B%E5%8A%A9

 ③ヘルマン・ハイツ跡

 今の西岡本7丁目、白鶴美術館の東山上。今も300坪級以上?の豪邸が200軒近く建っているが、この広大な敷地(丘上)にたった一人で住んでいた男がいた。1925年のシーメンス事件(海軍汚職)の主役、シーメンス東京支社長のヘルマンである。屋敷は本格的な中世城郭風建築で、設計はゲオルク・デ・ラランテ(風見鶏の館等を設計)。昭和40年代に住宅造成によって取り壊され、今に至っている。
 
 ④山路城跡?

 城(というか当時は大きな陣地のようなもの?)の詳細は不明だが、南北朝時代ではないかと推測されている。西国街道(=本山南中の南の道)ぞいに、本丸は今の本山中、二の丸は手水公園付近ではないかと。なんでも旧名では「池ノ内」とか「城ノ前」とか「的場」とかいう名前も残ってたようである。ちなみに「本山」という地名は「本庄(村)」と「山路荘」より。

 ボランティアに歴史散策、そしてハイキング???

 愛でる気がする地域に住んでいるということはともあれ、それなりの幸せではないかとも思うこの頃である。

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