(その1)山のエキスパート
女房の活動は一昨日に事務所開きが終わりそこそこ順調に推移しているが、仕事&子育ての合間を見ての僕の担当は「標高50m以上の地区」である。
箱根駅伝には登り下りの「山のエキスパート」がいるけれど・・・神戸の山麓部&山岳部もさほど甘い場所ではない。
滝もあれば、猪も出る。細い路地や上下をつなぐ階段が多く、車主体の活動は難しい。
なので、約1万軒をバイク(チョイ乗り)と徒歩でてくてくとポスティングしつつ歩いている。
一体どんな場所?・・・興味&機会ある方はJR神戸線の車窓からご覧いただきたい。
大阪から神戸に向かうJRで芦屋を越え、まず甲南山手駅の向うに見える白い大きな建物が甲南女子大。その周辺が東灘区森北町5-7丁目である。PTA仲間のKシマさんらが住むエリアで、女子大のはるか上の最高居住地は多分、標高150mくらいある。
西側に尾根を越え見えるもう1つの白い建物が神戸薬科大学。その下が自宅のある本山北町4丁目。で、そのずずずっと上に見えるのが甲南台である。保育所友人のM本さん邸があり、標高は森北7丁目ほどではないが、実は「兵庫1区の10大急坂」のうち2つがこのコース中にある。
「10大急坂」については、まさかこれらの各地域ばかりをしょっちゅう訪れている人は少ないと思うので、「第一人者」として私が勝手に認定させていただいた(汗と笑い)。
次に西へ尾根を越えると、本山北町5丁目。そして甲南大学の向うが梅林のある岡本6丁目、続いて別名「ヘルマン・ハイツ」の西岡本7丁目が見える。
住吉川を隔て、次の尾根の下には白鶴美術館。その西隣には住吉山手5-6丁目に続く「10大急坂中NO1」坂(名前不明:笑)がある。丘を越えれば神戸大学付属住吉中学校周辺。そこから甲南病院周辺への特徴は道の片側に立ちはだかる、上高地かどこかに行く時のような「崖」である。
甲南病院から御影を越えてしばらくすると灘区に。
6つの頂上があるから「六甲山」と言うのだが、神戸大学や松蔭女子大学周辺のエリアが篠原北町と大土平町。そしてその北、地図で見ると六甲ケーブルの西側にあるのが篠原伯母野山町である。このページの読者の1人、T村さんの母校・六甲学院からさらに上のあたりだが、このあたりの風景もそこはかとなく信州あたりを彷彿させる。
さらに西に進むと、要塞のような?神戸海星病院があり、その左・護国神社付近から谷を登った所が最後の難所・長峰台である。
尾根を1つ越えると摩耶ケーブルがあり、もうしばらくで三ノ宮(中央区)。そして元町を過ぎ、兵庫県庁や神戸大附属病院あたりまでが兵庫1区ということになる。
坂道や階段をてくてく歩くのは時に苦しく、比叡山の修行僧を想うこともある。数時間頑張って2-3百しか配れない地区もあり、正直な所、効率だけで見るとよくはない(11月はのべ14回出動で7500軒)。
が、かなりの部分が自然の中ということもあり、ダイエット&気分転換には最適。細かな路地を覚えれば新しい発見があるし、地域を愛でる気分も高まっていく。
解散が長引いたからこそこんなこともできる訳で・・・「みぞうゆう」な事態に感謝しつつ、1軒1軒に「真心」や「気」のようなものを込めて歩くようにしている。
(その2)川掃除
さて、実は僕は一昨日、女房の事務所開きには出なかった。
「パパレンジャー」(小学校の父親の会)が主催する、天上川(岡本の中央を流れる小川)清掃の責任者だったからである。
川掃除は2年連続3回目(って甲子園か?)で、30人くらいが参加してくださった。
http://picasaweb.google.co.jp/kobenosakura/20081129(C=O城プロ)
さほどひどくはないがホント、さまざまなものが捨てられている。
過去には猪の死骸や自転車、テレビ・・・なんてこともあったが、今回、面白かったものベスト3は「車のカギ」「大量の馬券」「未使用コンドーム」。
マナーの悪さを嘆きつつ、一体どうしてこんなものが川に投げ込まれたのか? を想像すると、それはそれなりに趣き深いものもある。
ところで、掃除をしながらつくづく気づくのは、神戸という街に流れる川の特殊性である。
思い出すのは昨年、灘区の都賀川で起きた事故だが。
とにもかくにも神戸では、六甲山系という広大なエリアに降り注いだ雨が急坂を下り、何本かしかない長さ1キロ程度の川に一気に流れるようになっている。
100万以上の人が住む都会で、似たような条件の地域はまずないだろう。
施策体系(補助金行政)のバラバラさもある。
親水性に凝るのなら、登り降りする場所が数十メートルに1箇所は必要だった訳だが、前者には金がつくものの、後者へのそれは希薄だったのだろう。
不幸な事件を通し見えたのは結局の所、全国一律の河川行政の限界であり、国土交通官僚というか、霞ヶ関の机上で考えることの限界が露呈した形だ思う。
(その3)本山歴史ウォーク
昨日は昨日で、関係団体主催の「本山歴史ウォーク」に参加してきた。
勝手に名づけて・・・本山・幻の大邸宅物語。
阪急岡本駅ー住吉川の間で、参加者は昨年より5割増の60人であった。
①二楽荘跡
甲南大学(岡本9丁目)北の山上、今は宗教施設内で倉庫みたいになっている場所にあった。1907年に着工され、1932年に消失した浄土真宗本願寺派宗主、大谷光瑞の別荘で、インド風の建築で下からはケーブルで移動していた。そこまでは商売柄?知っていたが、どこからそんな金を調達できたのかが分からなかった。謎の答は、もともと所有していた月見山の別荘?が、後の須磨離宮(今の須磨浦公園)として国(皇室)に買い上げられることになり、その分でこちらを建てた、ということらしい。
http://www.hongwanji.or.jp/1999/99niraku/99nirakuso.htm
②久原邸跡
大谷光瑞失脚後、その二楽荘を引き取ったのが久原房之助。久原は日立の創業者にして甲南大学創設メンバーの1人。実業家として大成功した後、政界に身を投じ逓信大臣等勤めるも、政治に金を使いすぎて没落したらしい(おお恐い恐い)。
豪邸があったのは今のオーキッドコート(西岡本2-3:前・川重社宅→現・イチローが居住した高級マンション)周辺で、JR北の住吉川には今も旧門前に「久原橋」がある。芦屋が高級住宅街として開発される前の話らしいが、邸宅内は遊園地のような電車で移動。また住吉川から直接水を引いて冷房がわりにするといった、考えられないスケールの家だったようだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E5%8E%9F%E6%88%BF%E4%B9%8B%E5%8A%A9
③ヘルマン・ハイツ跡
今の西岡本7丁目、白鶴美術館の東山上。今も300坪級以上?の豪邸が200軒近く建っているが、この広大な敷地(丘上)にたった一人で住んでいた男がいた。1925年のシーメンス事件(海軍汚職)の主役、シーメンス東京支社長のヘルマンである。屋敷は本格的な中世城郭風建築で、設計はゲオルク・デ・ラランテ(風見鶏の館等を設計)。昭和40年代に住宅造成によって取り壊され、今に至っている。
④山路城跡?
城(というか当時は大きな陣地のようなもの?)の詳細は不明だが、南北朝時代ではないかと推測されている。西国街道(=本山南中の南の道)ぞいに、本丸は今の本山中、二の丸は手水公園付近ではないかと。なんでも旧名では「池ノ内」とか「城ノ前」とか「的場」とかいう名前も残ってたようである。ちなみに「本山」という地名は「本庄(村)」と「山路荘」より。
ボランティアに歴史散策、そしてハイキング???
愛でる気がする地域に住んでいるということはともあれ、それなりの幸せではないかとも思うこの頃である。
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