「士農工商」から「農工商士」へ
小学だか、中学校だか。
徳川幕府の「士農工商」を習った時、「なぜ武士の次に偉いのが農業なの?」と聞いたことがある。
「武士がクニや政権を作ったのだから1番。次に、人数が多い農業を身分だけ上にして文句出ないようにし、武士のために年貢を納めさせようという魂胆がある。さらにそうすることにより、工業やさらに金持ちが多い商業も武士のために協力せざるをえなくなる」と、昭和40年代の先生が答えた。
なるほどと思った。
要するに「国=武士のためのもの」であり、実際の身分は「士商工農」だったのである。
さて。
明治以降、この4者の実質順位に大きな変動はなかった。
が、武士が「官僚・政治家・公務員」に置き換わり、技術導入による工業の地位が飛躍的に上り、商業もそれに追随した。
結果、農業は名実ともに最下位に転落した。
第二次大戦が終わり。
戦後の高度成長期には出稼ぎ等、農業従事者を土木事業者に転換させる政策が大手を振ってまかり通り、今日に至る「土木国家」へと発展?した。
と同時に、農業の地位はさらに地におちた。
この間、工業・商業の躍進はめざましく、本来の身分的勢力も「工商士農」であってもおかしくなかった。
が、実際には、「士」のポジションがトップであることへの異論はあまり出なかった。
「士」は実質的には、「中央集権国家+優秀といわれた官僚組織+自民党一党独裁+土木勢力」の連合軍だったからである。
時が流れ。
ようやくバブル崩壊後からは、「なんでいつまでも中央政府や役人や自民党ばかりがえばってるんや?」という声が出始めた。
ノーパンしゃぶしゃぶや各種の金銭スキャンダルで「士」への信頼はガタ落ち。
併せて「工商」は、中国等の快進撃や不良債権処理にあたふたしていた。
しかし、「農」も低空飛行で食料自給率下がりまくり・・・というのが、今世紀始めまでの状況であった。
そして、そんな中。
最近になり、農業をめぐる新たな問題として、石油価格高騰→代替エネルギー開発→飼料価格高騰→肉・卵・牛乳等々の価格高騰+農家の廃業といった問題が、僕らの生活を直撃し始めた。
中国製餃子や吉兆(船場に限定するのおかしい!)などの事件も、結果的には「食の安全」「食関係者のモラル」への関心を高めた。
どうやら長きにわたって「農」を軽視し続けてきたツケがやって来ているようだ、ということに、ついに多くの人が気づき始めた。
マズローは確かに「食べる欲求は最下層」と言ったが、「自己実現」してもしなくても食べるものが必要なことに変わりはない。
また、「衣食足りて礼節」という諺もあったが・・・要するに、衣食が足りなければ礼節なんぞ吹っ飛んでしまうということなのだろう。
つまりはいくら収入が減り、一方で2割3割の値上げがあっても、僕らは卵なら卵を食べない訳にはいかない。
だが、価格転嫁に成功した卵業界でも、それによって経営が楽になったということはない。飼料が上がった分の埋め合わせができただけで、他の業界にありがちな下請けいじめの焼け太りのような話は一切ない。
また、牛乳の場合は今回を機に廃業を選択する高齢農家が続出し、今後、現時点の供給を維持できるかどうかすらが危ぶまれていたりもする。
(この部分は息子が通う愛農高校=有機農業の宝塚音楽学校?http://www.ainou.or.jp/gakuen/index.htm 父兄からの、夜なべヒアリングの結果)
空から地球を眺めた宇宙飛行士のその後で多いのは農業と牧師だそうだが・・・そんなロマンチックな話の裏腹で、今の日本の農業はついに過去最低最悪のピンチを迎えているのだ。
先に述べたように、徳川幕府は形だけでも「農」を2番目に偉い職種としていた。
「商・工はなくても国(武士)は滅びないが、農がダメなら全てがパー」であるということを熟知していたからだろう。
慧眼である。
(今日のよき日本を作った最大の功労者は、いたかどうかが定かではない聖徳太子や織田信長、豊臣秀吉、坂本龍馬なぞなぞではなく、明らかに徳川一族である)
で、ささやかな提案であるが。
地方分権や政権交代問題もあることだから、この際、新しい日本のキャッチフレーズを「農工商士」あるいは「工農商士」とでもすればどうか。
地球環境や「食べられてなんぼ」の徳川精神を重視するなら前者。「モノづくり」を第1に、農業もそれに準じて大事にしようとするなら後者である。
が、「商」「士」はいずれにせよ、この位置。
「農」「工」あっての「商」であり、生活であり日本である。にもかかわらず、これまでは教育にせよ人材配置にせよ、国策的な軽視が過ぎた。皆に皆、役所や3・4次産業に就くことを奨励し、1億2千万人の国が成り立つはずがない。
また、「国は官僚・政治家・公務員のためのものではなく、彼らはあくまで農・工・商などなどへの奉仕者」であることも、今更ながら明らかにしておかなければいけない。
ちなみに、このキャッチフレーズの隠し味は「地方や現場を大事にした国づくり」を目指すことである。
で、あまりにもありきたりに見えるその部分こそが、400年来続いたものからの、大転換を意味する。
税の流れを本社・支社方式(国で集め地方に配布)から、フランチャイズ方式(地方で集めその一部を国に納入)に変えるべきである。でないと、他のどの部分が変わろうと、真の地方主権は成立しない。
会社その他の組織でも、「組織・部下がリーダーや上司のためにある」というマッチョ思想を廃し、「リーダー・上司は現場の仕事をやりやすくする存在でなければ価値がない」と考えていくべきである。でないと、若い意欲・才能が高齢組織の中で埋ずもれざるを得なくなる。
「魚は頭から腐る」というが・・・頭がでかければでかいほど腐り方がひどいというのも、国や組織と同じではないかと想う。
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