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2007年10月12日 (金)

⑤「生存率40%」って・・・

    病気の正体がはっきりしてからは、すぐに手術をすることが決定した。

大動脈中に人工の血管を植え込んで、そこに血液が流れるようにするらしい。

「危険は伴いますが、手術しないと命を失うだけなので、やりますよ。いいですね」と言われたので「そりゃ、そうするしかありまへんわな」と応えた。

実は、女房はかなり早い時点で「生存率40%程度の手術になる」と告げられていたらしい。

夕方前には家族6人と仙台の義父、姫路の父がまたたく間に勢ぞろいした。

もっとも手術の開始は、そんなものを待ってなぞいてくれなかったけれど。

午後の3時か4時頃だったのだろうか?

最後の手術室への移動の際に、家族ほとんどの顔を見た。

後で聞けば、宗一郎は来るときは中学の音楽会の合唱の練習中で、先生に「ともかくちょっと来い」と言われ、濡れ衣でも着せられて注意されるものと勘違いして、「オレが何をしたというんやー。離せー」とプチ・パニックになったたらしい。

理花と景治郎もまだ小学校におり、保育所に集合して、下2人とともに保母さんに病院までタクシーで連れてきてもらった。

海如は保育所からのタクシーで一言も話さなかったという。

姫路父は覚悟して来たという。

なかなか電話に出ない姫路宅に対し、女房から「ともかく何度でも電話して、何が起きているか伝えて」とのお役目をもらってしまった仙台実家からも、義父が飛行機で飛んできた。

全身麻酔の直前、「遺言のこしてませんから、絶対、起してくださいや(笑)」と冗談を吐き、一方では途絶えていく記憶の中で、「まあそれなりに頑張った人生ではあった」「特に悔いはない」ということを、自分自身で納得した。

最悪のケースも起こりえたのだろうが、恐怖感は一切なかった。

 ちなみに、昏睡に陥る寸前に思いついたのは、元気なうちに「葬式に呼んで欲しくない人のリスト」を作っといた方がよかった、というアイデアであった。

 いっぱしの大組織の社長とかが、ものすごい数の部下たちから、最後の最後に(別に行く気もないのに)「来ていらん」と通告されてしまったり、よく思っていなかった相手が式場への入場を断られたりするのを、天から見るのはさぞかし愉快な気分だろうなと(笑)。

そんなことを最後に、黄泉の世界との往来が、多分数時間は続いた。

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